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⑭ 彌弌と粟田焼
楠部彌弌は粟田焼の復興に努めた「昭和の巨匠」です。 彌弌は粟田の作陶家に生まれ、多彩な作品をつくり、色土による…
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⑬ 道八と粟田焼
仁阿弥道八は粟田焼の高橋道八の子で、青木木米(解説⑪参照)と共に修業し、二代目高橋道八を継ぎ青蓮院御用、後に五…
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⑫ 保全と粟田焼
永樂保全は青木木米(解説⑪参照)、仁阿弥道八と並び、江戸後期の名陶工とされます。 樂家と共に茶陶で知られる西村…
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⑪ 木米と粟田焼
江戸後期の名工、青木木米は粟田に窯を構え、陶器のみならず磁器でも多くの作品を生みだします。 木米は祇園の茶屋の…
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⑩ 乾山と粟田焼
野々村仁清(解説⑨参照)から本格的に製陶を学んだ尾形乾山は仁和寺近く(鳴滝)に窯を構えますが、洛中(御所南)に…
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⑨ 仁清と粟田焼
京焼で「色絵」(解説④参照)を完成させたのは、江戸初期の野々村仁清です。 仁清は粟田で焼物を修業したとも伝えら…
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⑧ 色絵と銹絵
解説④にある陶器は「色絵」で、登り窯で焼いた後、絵を付けるので「上絵付」とも言います。 これに対して、絵を付け…
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⑦ 陶器商の様子
明治初期、京都の衣食住の店を紹介した銅板画集「都の魁」があります。 ここには粟田焼を扱った窯元が掲載されていま…
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⑥ 粟田五山
江戸期に有力な窯元は「粟田五山」と称されます。 その一つの「錦光山」は幕府御用を務め、当ギャラリーの敷地からも…
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⑤ 近代の興亡
明治時代になると、東京遷都の煽りを受けて、公家や武家などの顧客を失った粟田焼は、大きな打撃を受けます。 そこで…