野々村仁清(解説⑨参照)から本格的に製陶を学んだ尾形乾山は仁和寺近く(鳴滝)に窯を構えますが、洛中(御所南)に移ってからは粟田の窯を借りたとも言われています。
乾山の兄の尾形光琳の絵付に、乾山が器と書を加える兄弟合作の「詩画一体」が知られています。
野々村仁清(解説⑨参照)から本格的に製陶を学んだ尾形乾山は仁和寺近く(鳴滝)に窯を構えますが、洛中(御所南)に移ってからは粟田の窯を借りたとも言われています。
乾山の兄の尾形光琳の絵付に、乾山が器と書を加える兄弟合作の「詩画一体」が知られています。