郷土史 記事一覧
古代から京都の東国との出入の要衝として栄えた粟田は、刀剣、焼物などの産地として文化の興隆する地でもありました。
また、近代になり遷都後も、疏水や鉄道など産業振興による京都復興の一翼を担ってきたのであり、その歴史を当ギャラリーでは解説しています。
粟田の拠点であった旧粟田小学校が廃止された場所に当ギャラリーは開設されましたが、粟田祭を主宰する粟田神社や青蓮院を中心に地域は今後も発展していくことでしょう。
【表紙写真は「粟田小」の扁額。揮毫は第三代京都府知事の北垣国道。北垣は琵琶湖疏水の建設を主導したことで知られます。】