⑤ 中世の粟田


粟田口は古来より、いわゆる「京七口」の一つであり、都と東国(関東)との往来の要衝でした。

よって、粟田はしばしば戦場となり、戦国期には柵と木戸で出入りが厳しく固められます(左下)。

近世、江戸期には東海道の終着点の宿場として、人馬を継ぎ荷物を運搬する「問屋場」が多く並び栄えます(右下)。

洛中洛外図屏風(歴博甲本) https://www.rekihaku.ac.jp/
都名所図会 https://www.nichibun.ac.jp/