⑦ 近代の粟田


明治後期、粟田小は粟田神社の境内だった現地に移り、また、拡幅した三条通を京津線が走るようになります(現地下鉄東西線)。

今も明治開業の「都ホテル」は老舗として(ウェスティン都ホテル京都となっても)格式を保っています。

粟田小は平成期に廃校となりますが、その跡地は令和期になって「ホテル東山」となり、隣接する当ギャラリーは観光客に粟田の魅力を伝えることに努めています。