⑥ 近世の粟田


粟田焼(陶器)は江戸期に青蓮院の庇護の下で栄えます。

しかし、明治の遷都で多くの顧客を失いますが、海外に活路を求めて再び隆盛していきます。

また、明治初期に粟田校(後の粟田小学校)が開校し、蹴上では人口流出の激しい京都再興を図り、北垣府知事により琵琶湖疏水が開通し、再興の気運が高まります。

疏水のインクライン下を通るトンネル「ねじりまんぽ」
その上に北垣の揮毫で「雄観奇想」の粟田焼の扁額