④ 光秀の首塚


光秀は小栗栖(山科)で絶命した後、秀吉による首実検を終えて本能寺で晒されてから、発見された胴(小栗栖に胴塚あり)と繋いで重臣・斎藤利三の首とともに粟田口で晒されます。

そして、その場に光秀の首塚が築かれますが、江戸時代には現在地(白川橋下ル)に移転し、現在に至ります。

現在の首塚