⑤ 吉水


三条宗近の後、粟田に集まった刀工は「粟田口派」を形成します。

鎌倉期には「粟田口六兄弟」として知られ、後鳥羽帝が定めた「御番鍛冶」も務めます。

やがて、その後継には名人の吉光を輩出します。

彼ら粟田口派の刀工たちは青蓮院の鍛冶ヶ池で刀を鍛えたとの伝承もありますが、円山公園には吉光が用いたとされる名水の井戸が遺ります。