① 京都と近江


京都を制した織田信長は、近江と京都の往来に逢坂越(現在の東海道)ではなく比叡山の麓を通る山中越を用います。

そして、信長はこの山中越の両端を宇佐山城(大津市)、勝軍山城(京都市左京区)とで抑えます。

信長に臣従した明智光秀は、この勝軍山城に籠城した記録が、勝軍山城から近い吉田神社の宮司たる吉田兼見の「兼見卿記」に残っています。さらに同記には、光秀が勝軍山城に籠城中に兼見宅で風呂を借りたことが綴られています。